2010年10月25日月曜日

現代のビジネス慣習にも通じる大坂商人の姿〜日本町人道の研究(宮本又次)

現代のビジネス慣習にも通じる大坂商人の姿
巷間、大阪では「笑いをとる」ことが最優先されるということが言われすぎている。
しかしそれは「昔」からの伝統であるというのはいささか事実とは異なるようだ。
実際の道修町や船場のビジネスの場面では、余計な冗談や世間話は相手の仕事のさし触りになるということで遠慮する風習があったようだ。

[体面の意識~世間体の構造(P21)]
●江戸時代の大阪では「お町内」というものがひとつの社会単位
体面ということはつまり「笑い」と関連している。
とりわけ隣近所の笑いものにならぬことが最高の道徳であった。
大阪の町は通りにしても、筋にしても、割合に狭かった。狭い道路を差し挟んで、向かいにあっているので、店先に座ると毎日嫌でも合さねばならぬ顔と顔であった。
→落語「笠碁」で、碁敵はお互い相手の様子が見えるくらい狭い通りを隔てて店を構えていた

●一統とか親類縁者、同族結合の中における体面・面目があって、そのつきあいが常に意識され、それに対する考慮が必要となる。大きな店では別家が多く、ここに「のうれん内(暖簾内)」の関係ができ上がる。丁稚・手代が年季をつとめて、手代・番頭になり、主家の許容の下に独立の別家を立てる慣習→のうれんわけ(暖簾分け)
●「のうれん内」というのは本家(親方)と分家(血縁)・別家(奉公人分家)を含む集団
→落語「口入屋」の番頭の台詞を参照
→暖簾分けを期待してじっと我慢する番頭たち奉公人の鬱屈した心理については、「千両みかん」「百年目」「菊江仏壇」によく現れている

※大坂は元禄後期になり高成長が止まり停滞期に入った。そうなると大商人の多くは、奉公人の別家をなかなか認めなくなった。先行研究によると、たとえば鴻池家では家訓が厳格化し、分家別家を控え、資本の本家への集約化が始まったという。
※一方で、奉公人の管理も厳しくなり、奉公人の期間が長期化した。結果、晩婚化が進み、少子化が進んだ。勢い店の継承は自分の子供ではなく、奉公人の中から選ばれることが多かった。奉公人に対する管理の厳しさは江戸の比ではなかった。いずれにしてもかなりのストレス社会であり、この社会的背景が落語の「お店ばなし」を生み出した。
→晩婚と少子化が窺える落語として「次の御用日」「崇徳院」「千両みかん」「宇治の柴舟」「植木屋娘」「親子茶屋」

●株仲間の同業者同士の世間。お町内の世間。その上に親類・縁者・別家一統を含めた同族結合の世間がいろいろに交錯してきて、これに対して体面が意識された。この場合これらの世間に対する体面が重荷になって、町人身分を規制することもあった。いわゆる「世間の義理」という悩みである。
→近松作品の心中ものには世間様との軋轢により死を選ぶ数多くの男女の姿が描かれている。結構、息苦しい世の中である。

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