2010年10月30日土曜日

西鶴の教訓〜「大坂商人」(武光誠)

(P193)
●江戸時代はじめに「長者教」という書物が出版されている。商人としての心得をあれこれ記したもので、大坂の人の間で広く読まれた。西鶴はその後を受けて、彼の時代にあった「新長者教」として「日本永代蔵」を書いたと言われている。「長者教」は儒教道徳を踏まえたものだった。
●たとえば長者教には次のような文章がみえる。「金持ちになりたい、金を儲けたいという望みを叶えるためには、日頃の心がけが大切である。たとえ、一厘も持たなくても、長者になりたいと思って努力すれば、きっと長者になれる」これは、真面目に働くものは必ず報われるという一般論にすぎない
●そして、西鶴はそのような無責任な表現をとらなかった。彼は、金が金を生むのだから、貧乏人が成り上がるのは容易ではないことを知り抜いていた。そのため、次のような文章を記している。「ただ、金が金を貯める世の中である。」「貧者はいつまでたっても貧しく、分限〔金持ち)は分限のままである」
→落語「商売根問」とそれを導入部として「金釣り」「鷺取り」「天狗さし」等が古典落語として今でも盛んに演じられているのも、「楽して儲けたい」という長者教レベルの願いがいかに強く、しかもその実現がいかに難しいかを証明している。

西鶴の作品の木版本の中で、今日最も残存部数の多いものが「日本永代蔵」である。そのことは、江戸時代の人がその作品に特別の思いを寄せていたことを物語る。「好色一代男」などは、物語の結末を知ってしまえば不要になる。しかし「日本永代蔵」の中には、読めば読むほど深みを増す教えが多く盛り込まれている。「日本永代蔵」から生き方のヒントを得た親は、子供たちにそれを読ませたいと思った。そのため「日本永代蔵」…が捨てられずに家に伝えられた。
西鶴は「日本永代蔵」で浪費と情報なしの見込みによる商売は家を滅ぼすものだという。この考えは、現代にも当てはまるものであろう。
→今日でも「やればできる」「願えば願いは叶う」として中身は単なる一般論しかない、何の具体的解決にもならないビジネス書が散見される。また性懲りも無く次から次と産み出されている。これらはただの長者教である。そんなものを読むよりは、遥かに西鶴の「永代蔵」「胸算用」「置土産」等〔特に永代蔵〕は教えられるところが多い。だからこそ発行部数が少なかった当時から数百年たっても残っている。その事自体がそれを物語る。

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