2010年10月30日土曜日

落語は細部が重要〜「江戸の気分」堀井憲一郎

(P232)
◉落語は土地のものだ。はっきりいえば、大阪と京都の対立なんぞは、大阪と京都の人以外はどうでもいいつまらない話題だ。…それ以外のエリアの人はどうでもいいだろう。ただ、落語というのは、その内容そのものがどうでもいいものも多く、細かいどうでもよいところを飛ばしてしまうと、落語そのものが成り立たなくなる。だから、こういうなんでもないところが大事になってくる。
◉落語は、その土地で聞かないと意味がないと思うのは、、こういうところである。京大坂の対立の説明をすれば、他の地の人にも背景はわかってもらえるだろう。でも、何とも言えないおかしみは共有できない。土地が持ってる空気は感じられない。…土地の空気を背景に、いくつもの噺が語られている。
◉落語の芯にある「人間の業」の部分は、どこであっても通用するが、細かいところは土地の人間にしかわからないようにできている。江戸の昔、人が今ほど動く訳ではなく、お噺を聞くにはその小屋に出向くしかなかった。そういう時代の芸能である。…その土地の人たちで楽しむ芸能なのだ。
(P240)
明治政府が必死でやったことは「日本がひとつの国であることをみんなで信じることだった。…いまの世は、なるたけいろんな世界を巻き込んでよこうとする。…高度資本主義社会は、社会的弱者をきれいにまとめてやんわりと社会の外側へと追いやっていますね。
→地方の疲弊、画一化が叫ばれて久しい。最近では東京とそれ以外の地域に分けられていると言う人もいる。

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