2010年10月30日土曜日

大坂の豪商たち〜「大坂商人」(武光誠〕

(P100)
●…まもなく産物の売りさばきをすべて淀屋に委ねる大名が出てきた。藩士が売るより遥かに高い値で、淀屋がそれをさばくからだ。
→「官から民へ」ということか
●蔵屋敷の運営を任された大商人は「蔵元」と呼ばれた。その呼び名は、ただ一人で広大な蔵屋敷を取り仕切る、元締めという意味の敬意のこもったものであった。蔵元は社会的な地位が高かった…。にもかかわらず…江戸時代初期の蔵元は、国本から蔵屋敷に来る武士の前ではいつもかしこまっていた。
●有力な商人が武士を「さんぴん〔1年の給料が3両1分の下級武士…)」などと軽く扱う風習は、江戸の町から広まった…。大坂が経済の中心地であった元禄期までの大坂、京都の上方商人は、武家を大切なお客さんとして立てていた。
→お客様第一主義、お客さまは神様
(P116)
●三井高平は子孫に大名貸に手を出してはならないと戒める。…三井家は、江戸で「現金売り掛値なし」と唱えて呉服の安売りを行って成長した。きわめて近代的感覚を持った商人だといえる。そのような合理的な三井家の高平であるから大名と出入りの商人との信頼関係だけが頼りの大名貸に批判的だった
→こうした特定の顧客にべったりと関係を持つビジネスは、相手側〔藩〕の財政破綻や明治維新などの政治経済的な大転換に対応できなかったことから見ても、実はリスキーだという好例。また、大口顧客中心で保守的な経営に転じた大坂は、以後、そのバイタリティを急速に失っていく。またクリステンセンのイノベーションのジレンマでも教えるとおり、保守的で堅実な経営を低成長期にやることは、経済の縮小再生産を招いてしまう。現在にも通じる話であろう
●今では、このような三井高平の考えをもっともだと考えるものが多いだろう。損得勘定だけで合理的に計算すれば、金を返さないかもしれない相手に資金を回すことは自殺行為である。しかし、江戸時代に貨幣を払って商品を受け取る現金商売はまだ確立していなかった。多くの小売商は、決まった常客に掛売りをする。そして問屋は小売商が掛金を集める時期に、まとめて小売商の支払いを受ける。日雇いの下層民は、毎日の生活に必要な米や炭をつけで買っていた…
→カードで食料品を買っていたようなもの。しかも節季で払えない人の悲喜こもごもは西鶴「世間胸算用」での描写は言うに及ばず、落語になると「かけとり(上方落語では浮かれの掛取り)」「穴泥」に描かれている

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