2010年10月30日土曜日

風俗史、世相史、文化史になぜ傾斜したか〜「大阪商人」宮本又次

(宮本又次「私の研究遍歴」)
●混濁渦巻ける大阪の巷が醸しだす不思議なる魅力、それは脈々と尽きぬ生命力といえるであろう。権威におもねらず、自ら頼み、自ら助くるひたぶるの町人心こそ大阪人の生命である。

(宮本又次「大阪商人」序)
●所詮歴史は人間の歴史であって、それ以外の何ものでもない。人間を忘れ、社会機構のからくりの分析に終始した、あまりにも経済史的な経済史に、ようやく飽きたらぬものを感じ取った…社会構成史的なものの見方や機械論的観念や決定論的なものの考え方よりも、人間を常に念頭に置かなければなるまい。対立論的な階級の観点を捨象して、およそ生きとし生くる者の努力や精進に、そしてその哀歓に人間生活の実相を窺いたい

(宮本又郎〜解説「おおさかもの」の背景)
●戦後の日本の歴史学、経済史学ではマルクス主義、唯物史観の影響もあって…大阪、大阪商人の性格についても…当時はまだ講座はや大塚史学が盛んであり、「近世大阪は天領として、市場は封建規制下にあり、特権商人であった大阪町民は「市民」ではなく、近代資本主義の担い手にに成り得なかった」といった趣旨の学説が支配的であった。これに対して又次は、「大阪=天下の台所の天下は、幕府や藩の領国ではなく、いわば封建支配の真空地帯的性格を有しており、そこではかなりの程度、市場の原理が機能していた。江戸中期の大阪町人は市民に近似する存在であった」とのアンチテーゼを唱えていた。

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