2010年10月31日日曜日

都市高等遊民の誕生〜「大阪のスラムと盛り場」加藤政洋

◉(P192)消費される都市空間〜遊歩者たちの足どりと語り
1920年代の盛り場は、もはや江戸時代の悪所を彷彿とさせるような場所ではなく、映画館やカフェーを中心に…様々な消費施設が集まって、現在にも通じる盛り場独特の風景を創り出し、大衆文化の開花とともに20世紀を通して最も華やぐ時期を迎えていた。このことは、東京浅草、名古屋大洲、神戸新開地、大阪千日前・道頓堀などの旧来の盛り場に限られたことではない。
◉というのも、…盛り場・商店街のぶらぶら歩き(遊歩)が全国各都市で大流行し、夜ともなれば中心商店街はまさにその舞台として。都市民が埋め尽くす歓楽の巷となっていたからである。
◉遊歩という空間的な実践によって都市空間を消費する民衆の営みを…文化と呼ぶ…ならば、民衆は…商店街や盛り場を舞台として独自の文化を創造していた…
*(P193まとめ)商店から商店街へ、百貨店の登場(座売り→陳列売り、正札売り)、町屋式店舗(間口狭く奥行きがある)→部分的にショーウィン度ー設置、顧客ばかりの商い→都市大衆という不特定多数相手の商いへ
*商店→商店会の組織化、催事運営・陳列方法の統制、街燈・辻灯、共同日覆い設置→商店街にまとめ上げる
*(P200)芝居茶屋の衰退をともなう道頓堀の映画館への変貌→伝統的芝居街という歴史的場所性を解体→カフェー進出の下地
*カフェーの変遷:当初はインテリ層が集まるサロン的雰囲気の場→高等遊民が消費する大衆的な空間としての喫茶店へ

◉(P209)路地という空間を発見した人物の一人として織田作之助をあげることができる…
(P212)近代大阪を象徴する都市景観…「強烈な電飾とジャズの強烈な電飾とジャズの狂躁曲を浴びせかけ」る道頓堀、…「心斎橋筋の光の洪水」が…「大阪的な」ものとしての「路地」を「発見」せしめた…

◉(P213)都市を歩くこと。それは、我々が自己の地理的想像力によりながら、新たな都市の空間性を、そして新たな主体性を創造・想像することにつながる…

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